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■水戸黄門と松平ョ重

講談で有名な水戸黄門(徳川光圀)は初代藩主松平ョ重の同腹の弟にあたります。松平ョ重は徳川家康第11男の水戸藩祖徳川ョ房の長男として生まれながら、運命のいたずらから、次男である光圀が水戸徳川家を継ぐことになりました。光圀自身も次男である自分が兄を差し置いて水戸藩主となったことを悔やんで、自分の跡取りにョ重の子(綱条)を迎えて水戸藩主としました。一方、ョ重も光圀の子(ョ常)を高松藩主としました。以後、明治維新になるまで養子のやり取りを繰り返しました。


■官休庵(武者小路千家)と松平家

高松松平藩と茶道三千家のひとつ武者小路千家は、始祖千宗守が高松藩祖松平ョ重に茶頭として仕えて以来、茶の湯を通じて今日も強く結ばれています。松平家が所有する楽焼茶碗「木守り」は、千利休が作らせたもので、歴代の武者小路千家当主が「宗守」を襲名する披露茶会には必ず使用され、そのときには武者小路千家から松平家に、拝借の使者が立てられます。


■松平家の泳法

高松藩祖松平ョ重は高松城に入府すると「讃岐の国は海辺の国なれば水練は武道の一斑たるべし」と、藩士の今泉八朗左衛門に命じ、御船蔵西堀溜(現JR高松駅構内)にて藩士水練の指導をさせました。ョ重自らも、入府の年の6月に城内の内堀で泳がれたとの記録もあります。高松藩の水術は水戸藩の水術である水府流を源流とし、「高松御当所流」と呼ばれていましたが、やがて「水任流」が正式名称とされ、昭和53年4月に松平家第13代松平ョ明氏を会長とした水任流保存会が結成され、毎年6月第1日曜日に英公(初代ョ重の諡)を偲んで追悼遊泳会を行っています。また、松平ョ明氏が水任流保存会を結成して日本泳法の保存に努め、水任流が昭和54年高松市無形文化財第1号に指定されたことの偉業を称え、二の丸北側(北公園)に水任流保存会初代会長松平ョ明氏顕彰碑が建てられています。



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